田舎ではお金を使わずにすごせる日がある

もう元の話がわからないところまで来たが気にしない。
先日、帰省した際、地元で暮らしている人に
「田舎だとお金を使わないで済む日があるけど、都会はそうはいかないでしょう」
と言われた。


田舎だと、とれた農作物やもらい物を融通しあったり、労力を提供しあったり、そういう事がまだ生きていて、望んだものをタイムリーにというわけにはいかないが、お金が介在しなくてもサービスが受けられるという事らしい。そういえば今年は雪かきの話題(お年寄りの家の雪かきを請け負った男性が亡くなったニュースなど)もあった。
サービスと書くと味気ないが、都会では意識せずにお金を出している事でも、地方だと違和感がある事はたくさんあるのだろう。
この話とさっきのアメフトチームの話が自分のなかではリンクしていて、今後、地方で高齢化がすすむのであれば、地域内での物品やサービスの交換を補助する組織(地域ユニオン?)は有効ではないかと思った。
(かつては村や親類一族がそれだったのだろうが。町内会はちょっと違うよな。)
最近はシェアードハウスという概念が日本でも出てきているが、世代や収入、ライフスタイルに差があると難しい事が多いらしい。
例えば、お年寄りが混ざっていると、あの人達は自分達に介護をさせる気ではないかと敬遠されるらしいのだ。


地域ユニオンはより豊かな(もしくは素敵な)暮らしのための仕組みでなく、非常時をしのぐための仕組みでシェアードハウスとはそこが違う。
この話って、自分の中では『分をわきまえる』事にリンクしていくのだけれども、読む人からすると違和感があるかな?
『分をわきまえる』=『自分にできることをやる』+『現在の状況に見合った振る舞いをする』という捉え方。
加えて、他者に提供したサービスが結局自分に返ってくるという考えや回収を急がない事など。
そういう考えが嫌な人は都会でも世界でも飛び出してバリバリやればいいし、失敗したときに戻る場所があるのは悪い話ではないはず。


とは言え、どこから手をつければうまくいくのかわからない。
少なくとも都心で働いている時点で入会資格ゼロだよな。
放って置いても、さらに世の中が厳しくなれば勝手に寄り添いあうようになるのかもしれないけど、こういう部分こそ国や自治体にフォローして欲しい。
年金の代わりに施設や人手でまかなってくれていっこうにかまわない。