「空気」と「世間」

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「孤独と不安のレッスン」に出てきた世間にフォーカスを当てた内容。
日本人は信仰心が薄いと言われ、自分の神を持たない人が多い。
そんなに精神力が強いのかというとそうではなく、日本人は神にではなく世間にすがって生きてきた。
昔は世間の力は強力で、世間の掟は絶対だった。
たとえば村なら掟を破れば村八分だが、それを守る限りは、村も自分を守ってくれた。


しかし、現代では世間は壊れかけで、もう強力な力を持たない。
すがるものがなくなった我々は、緊急回避的に『空気』にすがるようになった。
『空気』は流動的な世間(不完全な世間)で、世間ほどの力はもたないが、それでも我々は『空気』を読もうとする。


『空気』にもそれを構成する中心人物がいる場合、中心人物がいない場合があり、それをテレビ番組になぞらえて紹介してある。
中心人物がいる場合は、その人の趣味、意向にそうように発言していればよくそれが『空気』を読むという事。
だが、中心人物がいない場合、いても大して実力がない場合でもなぜか我々は空気を読んでしまう。


『空気』(とインターネットは)恐ろしいものだから迂闊に近づいてはだめ。
しかし『空気』は所詮、壊れかけの『世間』だから我々を助けてくれるわけではない。
『空気』を読むのをやめて『社会』に向き合いませんかという話と理解。
『空気に対抗する方法』も書いてある。