四天王プロレスの何が凄かったか
落語だったら客が帰るくらいながい枕だった。
書くほうも疲れた。
本題。
アンチが何をもって八百長と言っているのかわからないが、どちらでも良いと思わせるものがあった。
仮に筋書きがあるとして、それはどれだけ困難な筋書きなんだというのが、かつて、四天王プロレスと呼ばれた、全日本プロレスの三冠戦。
ファンの方には説明はいらないし、説明すると本質から逸れていくかもしれない。
三沢さんも本の中で書いていたが、昔のプロレスは時間切れ引き分けとか、場外リングアウト、反則勝ちなどでグダグダで終わる事が多かった。
それを変えようとしたのが三沢光晴。
四天王プロレスは、回を重ねるたびにエスカレートしていったのだが、多くは20分以上の長い時間、技を応酬して最後は『大技』で決着が着く事が多かった。
つまり、筋書きがあるなら、疲労とダメージの蓄積した体で必ず大技で勝たなければいけない。もしくは大技を受けきらなければいけない。
それに耐えうる実力がないと筋書きをまっとうできないし、事故につながる。
そんな試合を何試合も続けて、しかも常にその中心にいた三沢の負荷はどれほどのものだったかと思う。
よくガラスのエースと揶揄されて、プロレス大賞を取り損なっていたが、試合の密度と頻度が全然違っていた。
常に前回の試合内容を上回っていくので、ファンは面白いのだが同時に何処までいくのか心配でもあった。
もう終わったなと思っても立ち上がってくるのだ。
客は十分に納得しているのに。
形だけでいうなら綺麗に落着している技が決まっても続く。ある意味、グダグダになるケースもあった。
筋書きがあるなら、果たして、そこまでする意味があるのだろうか?
試合にのめり込むので、見ているときは考えないが、どっちでもいいと思う。
もし筋書きがあってもそれを遂行できる事自体凄い。
ただ、筋書きがあるとしても、あそこまでやる事に人間味を感じない。(強制されて出来る内容ではないと思う)
だから『プロレスはどうせ八百長なんでしょ』なんてのを聞くと、『どうせってどういう意味だ?』と思うのです。
残念な事は、あまりにもエスカレートし過ぎて(エプロンからの落下技はやりすぎだよなぁ)その蓄積(と言って良いかはわからないが)で三沢さんの事故に繋がってしまった。
エスカレートの要因はファンにもあるのだろうが、かといってどうすれば良いのだろう。
正しいファンてどう振舞えば良いのでしょうね。
今回、本当の相撲ファンは何処にいてどういう感慨をもっているのだろう。

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