「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」に参加するには

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071690071108.html

このタイトルが長い会で「やらせ」騒ぎが起こっていますが、いつのまにか始まっていたのですね。
「やらせ」かどうかの前に、そもそも、どうやって参加すれば良いのでしょう?
どのニュースを読んでも載っていない(「やらせ騒ぎ」の事ばかり)ので探しました。
以下に共有しますので、赤枠のリンクを辿ってください。


1.まずここ。控えめですhttp://www.npu.go.jp/


2.次ここ。さらに目立たないhttp://www.sentakushi.go.jp/


3.ここから申し込み。USTもあります。http://kokumingiron.jp/


こんなに分かりにくくて、アナウンスも行われていない状況では、9人中9人が関係者になっても不思議ではないと思いました。
私の意識が低いのでしょうが、参加方法ってどこかでアナウンスされましたっけ?(会の存在は大きくアナウンスされていましたが)
今回、電力関係者以外で参加された方達を尊敬します。
そもそもネットを利用できないお年寄りはどうやって参加すれば良いのでしょうね。


「やらせ」か否か、「原発」は安全か否か、それよりも「プロセス」について議論したいですね。
意思決定のプロセス、原発運用のプロセス。


今回はアナウンスなので丁寧語で。
会に参加されたい方にとっては役に立つかもしれないホニャララでした。

避難指示が出ても逃げない人達

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/312782
九州では、降り続く雨で被害が拡大している。
週明けも雨予報が出ており、今は被害が出ていない地域でも、引き続き注意が必要な状況だと思う。
(「26万人に避難指示」とあるが、具体的な被害にあった人以外で避難した人はいるのだろう?)


熊本でも阿蘇を中心に大きな被害がでた。
私の仕事場は白川から100mもない場所にあるが、幸い冠水もせず大きな被害もなく、水嵩も落ち着いて来ている。
だが、12日の午前中は、近くの観測点の水位は一時6mを超え、氾濫危険水位をオーバーしていおり『避難指示』がでた。
全国概況
『避難指示』と言われても、ほとんどの方はピンと来ないと思うが、警報としてこれ以上はない。
避難準備情報、避難勧告、避難指示 | 法律事務所・弁護士への相談ならLegalus
つまり、最上位の指標を大幅に超えており、最大限の警戒を促す指示も発令されている状況だった。


そんな状況だったにもかかわらず、ご近所の雰囲気はいつもどおり。
警察や消防が非難を呼びかけるわけでもなく、避難を始める様子もない。
コンビニをはじめ、ほとんどのお店(営業を見合わせていたのはファミレスだけ)は営業を続けているし、子供たちは、学校から家に帰ってくる(帰されたのだろう)。
私も避難先の古い小学校(体育館では浸水する)に集まって、何か良い事があるか考えたが、何も浮ばなかった。(むしろリスクがあるようにさえ思えた)


結果的に避難の必要はなかったわけで、ご近所の皆さんの経験則や感覚による判断は正しかったわけだけれども、これで良かったのか考えてしまう。せめて、警察や消防、教育機関(子供を避難先から家に帰して良いの?)だけでも大騒ぎして、避難所に人を誘導すべきではなかったのか?
あとで住民から苦情が出たとしても。


週末以降さらに差し迫った状況が訪れても、発令されるのは、逃げなくても問題のなかった「避難指示」。
おそらく誰も逃げない。

  • 指標(それに対応するアクション)が適切であるか
  • 避難指示の意味と目的のアナウンスとその方法
  • 避難先は災害の内容に相応しいか

いろいろ再検討すべきところがあるだろうが、これらが何かあったときの言い訳(ちゃんとアナウンスしました。避難先も用意しています)のために用意されているように感じて、それが一番恐ろしい。


本文から意図はズレるが、世の中には、自分には、活用できない指標や情報が沢山あると改めて思った。
(何か良くわからない意図や目的のために用意されているものが沢山あるようだ)
目の前に対処していく(実際に被害にあってから避難する)ほうが人間らしいのかもとも思った。
災害は繰り返し起こるし、生まれ育った家を捨てる人間は少ない。
何が正解か、ようわからん。

ハローワーク相談内容白紙7割

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012013102000180.html

地元の夕刊の一面に「ハローワーク相談内容白紙7割」との記事があった。
総務省の調査では、全国のハローワークで、相談内容が記録されていないため次回以降の
紹介に活用できないとの事。
また、職業訓練とは無関係な職を紹介しているケースも問題視しているらしい。
総務省では「雇用のミスマッチ」の解消を目指しているそうだ。


うーん。(この記事が1面に来るという事は、まだまだ日本には余裕があるのだろうか)
や、目標としては素晴らしいと思います。
が、そこ(「雇用のミスマッチ」)まで国が頑張るの?と疑問に思う。
また、ハローワークの混雑を目にすれば、相談内容の記入がない事も、むしろ現場の賢明な判断ではないかと思う。

  • そもそも1.データの記入には時間がかかるし、その割には活用されない。(事例ばかりを見てきた)
  • そもそも2.ハローワークでミスマッチを解消できると思えない(本人以外に解決できる人はいないと思う)
  • そもそも3.ミスマッチとか言っている場合じゃないでしょう

ミスマッチでも良いので、一人でも多くの人に職を割り振る方が大事であり、ハローワークの職分に沿っていると思う。
(つまり現場の人が正しいと思うのですがどうでしょう)


同じような事(やり過ぎ、見当違い)は、一般企業でも見かけるし、医療や政治でも感じる事がある。
この間までは、それで良かったけど、もう、そういう世の中ではないのではないでしょうか。
現場の手抜き(判断)は意外と正しい事が多い。
もっとスコープを小さくしてテキパキやりませんか?

『ツイッターとブログの違いについて』について

内田樹の研究室
内田樹さんがブログのなかでツイッターとブログの使い分けや、ブログの有効性について書かれている。
自分にとってはツイッターとブログはフローとストックであり、思いつき(感情)と思考だろうか。
よくわからない事や、整理できない事があるとブログを書いているかもしれない。
是非はわからないが、書く事が考えるきっかけになると思っている。


BCCKS / ブックス|紙と電子書籍の作成・販売が無料!
最近、いろいろなところで推しているが、ブラウザで簡単に電子書籍を作る事ができるサービスだ。
有料での出版もできるようになって、印税は70%とか。
このサービスを使って、内田さんが書かれているような作業も実現できるのではないかと思った。
例えば、twitterで呟いた事を切り貼りして、加筆してみたり。
もしくは『twitter→ブログ→電子書籍』という流れ。
電子書籍の体裁にしておくと、タブレットで読みやすい(振り返りやすい)のも利点。
ブログと同じぐらい流行ると良いなと思っている。

くまもとにもどりまして

熊本は豊かなのだ。
こちらに戻っての印象。

豊かさの定義を調べると

1 満ち足りて不足のないさま。十分にあるさま。「黒髪の―な女性」「緑―な森」「才能の―な画家」「国際色―なマラソン大会」
2 経済的に恵まれていてゆとりのあるさま。「―な家に育つ」「―な生活」「給料日後で懐(ふところ)が―だ」
3 心や態度に余裕があって、落ち着いているさま。「―な心を育む音楽」「心―に余生を過ごす」

とある。
個人的に、付け加えるならバリエーションの豊富さと、それを持続できる事だろうか。
こんなデータもある。
消えた年収>給与が低いところで安定していた九州の南部地域「これでもまだマシか」


少し前に発表された『都道府県別幸福度ランキング』で熊本は5位。
『幸福度』自体良くわからないし、それを測る指標についても疑問が多いのだが、5位という結果は実感としてわからなくもない。
熊本県民の気性を考えるともっと上位にランクする可能性すら感じる。
幸福度ランキングでは、上位に、平均年収ランクでは下位にあたる県が多い。
熊本も平均年収は全国平均より100万ほど安く、平成20年のデータで言えば、全国で38位。
東京599.7万円、熊本389.1万円。
この200万円と引き換えに、熊本に何があるか。
私の主観で良かった事。

  • 水美味い
  • 飯美味い(そして安い。素材が新鮮であると思う)
  • 家賃(安い、広い)
  • パーソナルスペースの広さ(同じ料金を出した場合に、交通機関、飲食店、サービス)
  • 空が広い(意外なくらい爽快)
  • 暖かい(が、今年は特別との事。今はチョー寒い)
  • 地震が少ない(震災が起こった事で特に感じる)
  • 温泉が沢山(車で小一時間で行ける範囲に多数)
  • 車で2時間以内の場所に海も山も川もある

逆に困った事。

  • 書籍の発売日が遅れる
  • 好きな落語や芝居がかからない

無理やりまとめると、安心があり、刺激が足りないという事だろうか。
加えて学生の頃を思い出すなら、大学、会社の選択の幅。
大学や会社の選択肢が多ければ熊本の外へ出たか?
今となっては分からないけれど、新卒時や転職活動時に地元の企業も調べた事を考えると可能性はある。


業務用のブログにも書いたが、熊本は福岡のベッドタウンを目指してはどうか。
新幹線で50分。これを生かさないのはもったいない。
新幹線は観光よりむしろビジネスに活かすべき。
(新幹線は阿蘇へも天草にも直通しない)
現在の通勤定期が約10万円。これを5万ぐらいにしていただきたい。
乗車率も増えてJRさんの売り上げも上がると思いますよ。(平日の利用状況は閑散たる物)
熊本、福岡に限らず、東京と、周辺の甲府、前橋、宇都宮、水戸などに関しても言えると思う。
このあたりの定期代を下げてくれれば、労働者の選択肢が増え、地方都市も潤うと思う。


もう一つ、地方には働きたい企業がないのではなく、見つからないだけという可能性もある。
物の見方が変わった事もあるだろうが、こちらに戻ってみると、面白い取り組みをしている企業も多い。
九州全体でみると、びっくりするぐらい財政状態の良い企業もぽつぽつとある。
給与の額面で見てしまうと学生さんには響かないかもしれないが。
そして、企業側にPR(もしくは学生に対するホスピタリティ)とチャレンジと権限委譲があれば…難しいか。
県内に留める事が難しいのであれば、外に出て、そして成功した人に、経験やお金を持って地方でチャレンジしてもらうための取り組みも価値があると思う。
おそらく仕事はたくさんある。お金が動きにくいだけ。


先日、『くまもと未来会議』というイベントに参加してきた。
パネラーの年齢層の幅と構成(会議ではなく合同セミナーに近い)については一考をお願いしたいが、
・現状維持で良いという気持ちでは現状維持できない
・自助の気持ちを持ちましょう
・ホスピタリティが低いと評価されている事を自覚しましょう
などの指摘があり、面白い(効果的と感じる)アイデアもたくさんあった。
しかし、どんな素晴らしいアイデアも、当事者に変わろうという意識がなければ実現されない。
当事者が望まない提案をしても押し売りになってしまう。
意識に火をつけることさえできれば、方法や手法は何でもよいのだと思う。
一方で、今の生活で十分だよという気持ちも分かる。
現在の熊本は豊かであり、現状に満足する事は悪い事ではないはず。
最近、どちらがベターなのか良くわからなくなって来ている。
このイベントの内容は学生さんに聞いて欲しいと思った。(我々より、学生達にこそ聞かせるべき)
そして、どのような感想、意見を持つか聞いてみたい。(そういう場こそ用意するべき)
大人は会議室で、若者はネット上で、では永遠に噛み合わない。


個人的な来年の課題。
どうすればコミュニティが現状維持(もしくは緩やかな衰退)できるかについて勉強してみようと思っている。
100年後の日本の人口は5,000万人という。
ならば、そのときに現在の生産量を維持できていれば、それは豊かな未来(過剰な物資)と言えないか?
実用に関していえば、ダムにしろビルにしろ住居にしろ、これから新しく作らなくても余っているはず。
感覚的には撤退戦。
きっちり撤退しなくては反撃できない。
そして、私が国にお願いしたい事は、どこまで退くかのライン引き。

型と魂

テレビで、家元が『型破り』、『反逆児』として扱われているとしっくりこない。
『型破り』だと『反逆児』なのか?
何に対して『反逆』しているのか?
まあ、答えは『落語協会』なのだろうけど、『落語』に寄り添っていたのは協会よりも家元の方に見える。
型(伝統や慣習)を守っているが協会、魂を守っていた(落語家たらんとしていた)のが家元と言う言い方もできるだろうか。
笑点』は視聴率高いらしいが、あそこに出ている落語家さんと家元と、どちらがより『落語家』かと言えば自分の中では明確。
(協会の中にも好きな落語家さんはいるけど)


落語であれ、他の芸事であれ、会社や世の中の慣習もそうかもしれないが、何事にも創始者(策定者)に当たる人(人達)がいるはず。
その人が決めた事に逆らったり、壊したりする人の事を反逆児と呼ぶと仮定する。
が、世の中はかわる。インフラも人の生活もガラッと変わるのに、ルールや型が変わらなかったらむしろおかしい。
創始者が、現代に生きていたとしたらまったく違う型を策定するはず。
ならば、創始者も反逆児になりうるし、おそらく、反逆児でなければ創始者たりえない。


型どおりこなす事が根幹に通ずる場合もあるだろう。
芸事の場合は、ほとんどがそうなのであろうが、型を守る事と、魂に添う事の両立が難しいように見える。
言い換えれば、型は根幹に到達するためにあるはずなのに、型を型どおりに守るところがゴールになってしまった場合。
そうすると、一番型通りの人が、一番根幹から遠い、魂がからっぽ。そんな事も起こりうる。
少し前に「守・破・離」という言葉が流行ったが、それが世の中に受け入れられたのが不思議。
「守・守・守」という本を書いたらどれだけ売れるのか怖い。
「守・破・離」を地で行っていたのが家元かもしれない。
わかりやす過ぎるくらいに。(いろんな意味で本当に離れちゃったからなあ)
諸々含めて、全部「洒落だ」と言いそうだが。

松曳き

家元が亡くなった。
月並みな言葉だが、もう一度、高座を見たかった。
ただただ、残念。

手元にある中で一番良く見るソフトがこれ。
大ネタではないのだろうが、粗忽な殿様や家老がとてもチャーミング。
噺も面白いが、この中に納められているトークがまた良い。
家元の映画論が楽しい。紹介された映画を見てみたら、これがまた面白い。
好きな物を語る姿がチャーミングなのだ。
追悼の報道は毒舌や、奇抜な行動を中心に組まれたものが目立つ。
もっと高座の姿を中心に編集して欲しいなと思う。
噺の後の拍手に応える家元の笑顔。
本当にチャーミングな人だったと思う。


このソフトに納められている家元の言葉。
「早いこと好きな事をやって早いこと死んじゃった方が良い」
個人的には「そうだよね、そうありたいよね」と思っている。
生きてるだけでリソースを確保しているわけだから、やりたい事やって、すみやかに開放すべきである事は分かる。
一方で、掴んだものをなかなか手放せない事も実感でわかる。
だから、使いもしないリソースを確保しっぱなしの人の事を非難する事もできない。(確実に自分に返ってくるから)


つい先日まで高座に上がっていた家元。
その家元でさえ最後の三週間は(も!)病院のベットの上で意識不明の状態だったと知ると、シンドイ。